★風の時代ってなんだ★空虚感★つかみどころのない不安★永遠の孤独感★
「今年も残すところ10日あまり」
そんなタイトルで、年末のゴミ収集日の回覧板が回ってきた。
この区切りの感覚は、安心する。
本当にありがたい。
「残すところ10日」とか、
「風の時代」とか
けれど、源の私たちには、本当はこんな区切りは影響しない。
9月から本当に忙しくて、ブログを書いたり、自分と向き合ったり、
自分の世話を後回しにしてきたツケなのか?
今、私は「空虚感の」中にいる。
これから書くことは、意味の分からないことばかりかもしれない。
けれど、どこかみんなの中にも持っているのではないか?
そう思って、思い切って書くことにした。
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私が特に反応する言葉に「継ぐ」というものがある。
代々続いた家紋を継ぐ、技術を継ぐ、想いを継ぐetc…
物質的なものもあるが、そうでないものに対し、反応してしまう。
ヒプノセラピーで前世を見た時も、
この「継ぐ」という思いが、根本原因としてあがってきたことがある。
1年半前のこと、私はなぜか「自分は偽物だ」という感覚を持っていた。
さらに自分の傲慢さに、辟易していた。
その原因となる前世へ遡るも、なかなか正体を見せてくれず、
5つほどの前世を見た後、観念したように顔を出したのが、この前世である。
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メキシコ、古代マヤ文明。
まさに、パレンケ宮殿と同じような宮殿に、私はいた。
(ちなみに、浅学な私は当時パレンケ宮殿を知らなかった)
代々続く宮殿を守ること、その思いでいっぱいだった無知で傲慢な君主。
権力と暴力でしかその術を知らず、宮殿を継ぐことを心から望んでいなかった私は、一人寂しかった。
そして私は最後、泣きながらこう叫んだ。
「誰か、助けて!」
この言葉を生きているうちに叫んでいたら、私は救われたのかもしれない。
そして現在は、
前世療法を学んだ師匠の教えが素晴らしく、私はこの教えを継がなければならない、と一人勝手にプレッシャーを感じていた。
今は、それを手放しとても楽になった。
話は反れたが、この「継ぐ」と「空虚感」の関係性は何か?
私なりに、紐解いていくと、「永遠」というものに行き着いた。
そうか、私は「永遠」に空虚感を感じていたのか。
これがわかった時、腑に落ちて気持ちが楽になった。
けれど、この拡がりゆく宇宙空間に、スピードに、つかみどころのない不安が襲ってくる。
わからなくならないように、掴むところを探そうと懸命に「点を打つ」。
けれど、また永遠に拡がりゆく空間に空虚さを感じる。
さらに、本当はそんな「点」さえも「無い」。
なぜならこの世は何も「無い」から。
本当は何にもない。
「私」などいないし、「私を認識する者(物)」もいない。
ということは、「空虚感」も本当はない。
宇宙の拡がりさえないのかもしれないし、
宇宙の拡がりさえないのかもしれないことも、「無い」のかもしれない。
この永遠たる空虚感は、その内側にいるから感じるのだと思い、
私はそこから出ることにして、「司る側」に回ってみた。
包み込んでしまえば、拡がらずすむのではないかと思ったからだ。
けれど、司る側も永遠に拡がってしまった。
拡がったと思うとパラパラと目の前から消えてなくなり、
やはりなかったのか!とまた空虚感に襲われる。
この「空虚感に襲われている」と認識している者は誰なのか?
と感じると、認識している者を認識している者がいた。
そして認識している者を認識している者を認識している者がいた…
これは永遠に続く。
まるで合わせ鏡のように、永遠と続く。
けれど、本当はそれさえもない。
人はいらないものは「手放せ」という。
身軽な方がいいと。
手放すものもない、身軽な状態さえも手放していく。
ないものさえ手放していく。
光だけにする。
いや、光さえも手放す。
けれど、そうしたら宇宙の成長は止まってしまう。
だから、また闇は創り出される。
永遠の空虚感は、恐ろしい。
だから、やっぱりこれしかないと思う。
私はごみ収集日の書かれた「回覧板」を手に、次の人へそれを手渡しに行く。
ポストインなんてしない。
そして、ちゃんと言葉にして伝えるんだ。
「こんばんは。回覧板です!」
まさに、グランディング。
人間と人間のコミュニケーション。
今ここ。
点と点を永遠に継ぐことは、本当に素晴らしい。
もう、それしかない。